東京神田にあった醉心東京支店 【昭和7年頃】
日本画の巨匠・横山大観画伯が最も愛飲した酒が、醉心でした。大観にとって醉心は主食であり、米の飯は朝お茶碗に軽く一杯口にする程度で、その他は醉心カロリーを取っていたと言われています。
醉心と大観のつながりが深かったのは三代目・山根薫社長で、出会いは昭和初期、東京神田の醉心山根本店 東京支店での出来事に遡ります。お店に連日お酒を買いに来る上品な女性に、どなた様かと店員が訪ねてみると、それは大観の夫人だといいます。大観はまろやかでありながら辛口の醉心をいたく気に入っているということで、興味を持った薫が大観の自宅に伺い酒造りの話をしたところ、たちまち意気投合。「酒造りも絵画も芸術だ」と意気投合し、感動した薫が一生の飲み分を約束しました。
それ以来、大観は醉心に毎年一枚ずつ作品を寄贈してくださるようになりました。それが集まり出来上がったのが「大観記念館」です。大観の作品の他、川合玉堂(かわいぎょくどう)、菱田春草(ひしだしゅんそう)、頼山陽(らいさんよう)の作品も収めております。
横山大観画伯 寄贈
大観は昭和33(1958)年に数え年91歳で生涯を終えましたが、この約束はそれまで続きました。第二次世界大戦下にあっても「醉心は主食である」との主張の通り、何とか東京まで酒を送って欲しい旨を薫に直筆の手紙をしたためています。この運送を、当時の五島慶太大臣に計らってもらえるよう依頼したこともあったということです。晩年、薬や水さえ受け付けなくなり重体となった時でも、醉心だけは喉を越し、それをきっかけに翌日からは果物の汁や吸い物などが飲めるようになり、一週間後にはお粥を食べられるまでになったという記録も残っています。