「純米吟醸生原酒 醉心瓶囲い」発売

2024年12月16日

醉心で生まれた「瓶囲い」

■「瓶囲い」とは
「瓶囲い」とは、醉心が日本で初めて採用した清酒の貯蔵法です。
通常、醪(もろみ)を搾って得られたお酒は、タンクなど大型容器で貯蔵・熟成させられます。しかし、「瓶囲い」ではタンクではなく、ワインのように一本、一本、瓶詰めして貯蔵、熟成をさせることになります。
では、いつ、どのようにして、「瓶囲い」は生まれたのでしょうか?

 

■三代当主・山根薫が発案した「瓶囲い」
蒸米、水、米麹、そして酒母(しゅぼ)を合わせて発酵させた醪(もろみ)を搾ることで清酒は得られます。通常、搾られた清酒はタンクに貯蔵されます。三代当主・山根薫が酒蔵の仕事に関わりだした頃は、おそらく木桶で清酒は貯蔵されていたのでしょう。しかし、当時の衛生状態のもとでは、雑菌の混入などにより、貯蔵中の清酒の品質が劣化するリスクは相当程度高かったものと考えられるのです。

そこで、薫は新たな清酒の貯蔵法を発案しました。搾ったお酒を木桶ではなく、瓶詰めして貯蔵することを考え付いたのです。これが「瓶囲い」の始まりです。おそらくは、大正時代前半のことと思います。瓶を洗浄することは、木桶を洗浄するよりも容易であったはずです。また、仮に、瓶詰めされた清酒のうち数本の酒質が変質したとしても、その影響が瓶詰めされた清酒全体に広がることは防がれます。木桶で清酒を貯蔵する場合と比べて、リスクは明らかに低減されることとなるのです。

こうして、本邦初、醉心で「瓶囲い」が始まったのです。但し、まだ多くの改善すべき点が残されていました。この後も技術の研鑽は続き、四代当主・山根卓三が「瓶囲い」の技術を確立させたのです。

 

■四代当主・山根卓三による「瓶囲い」の確立
大正の頃、三代当主・山根薫は“冷や”でおすすめするお酒として「冷用醉心」を創出しました。当時、清酒はお燗で嗜まれることが殆どであったのであろうと思われます。しかし、洋食にはグラスで嗜まれる清酒、即ち“冷や”で嗜む清酒が良い、薫はそう考えたのでありましょう。冷やしておいしいお酒を生み出すため、薫はそれこそ不眠不休で醸造工程の改革に努めていたと言います。

そして、昭和30年代、四代当主・山根卓三は新たな商品の開発に没頭していました。時代は高度経済成長期に入り、生活様式のより一層の欧風化が進みつつありました。これからの食生活の変化も見据え、ワインなどの海外の酒類にも引けを取らない日本酒を…そう考えていたのでしょう。卓三が目指したのは“若々しい風味”のお酒。そこで、卓三は「瓶囲い」に着目しました。

卓三はこの貯蔵法に酒質の向上に向けた大きな可能性を感じていたのでしょう。「瓶囲い」では、搾った清酒を火入れ・瓶詰めして貯蔵します。タンクや木桶のような大容量の容器と比べて瓶の容積は遥かに小さく、火入れ後のお酒の温度は比較的速やかに常温にまで下がります。また、タンクに貯蔵する場合に比べ、瓶内で清酒が空気に触れる面積は極めて小さいと考えられます。これらは清酒の微妙な香味のバランスを保つ上で極めて有利であり、引いては清酒の品質向上に資する、そう卓三は考えたのでしょう。

「瓶囲い」では、ともすれば瓶ごとの酒質が不揃いになり勝ちと言えます。そこで、卓三は、「瓶囲い」された清酒の酒質を均一に保持することにも意を尽くしました。例えば、「瓶囲い」のための貯蔵庫を厳重に囲って外部からの光の影響の低減に努め、また庫内を低温に保つための機械設備の整備にも努めたと言います。努力の甲斐あって、「瓶囲い」による清酒の品質は飛躍的に向上し、醉心に新たな可能性を生んで行くことになったと考えております。

 

■現在の「瓶囲い」  -「純米吟醸生原酒 醉心瓶囲い」-
現在でも、醉心の蔵内には多くの商品が「瓶囲い」され、その出荷の時を待ちわびております。その一つが「純米吟醸生原酒 醉心瓶囲い」。現在の醉心の主軸である純米吟醸。その搾りたてのお酒を火入れ(加熱殺菌)を経ない生酒のまま瓶詰めして、低温で貯蔵します。在庫がある限りを出荷、売切れたら次の酒造期までお待ち頂くお酒です。発売以来十数年、今では醉心の生酒を代表する商品となりました。

そして、令和6年12月半ば、
令和6酒造年度の新酒による「純米吟醸生原酒 醉心瓶囲い」の出荷が始まります。
まず、「若めの瓶囲い」のフレッシュな風味をお楽しみください。