「名誉醉心 復刻の三號 無濾過生原酒」販売開始

2024年9月18日

「名誉醉心 復刻の三號 無濾過生原酒」の販売を開始いたしました。
(ショップでは20本のみの販売))

醉心は、大正8・10・13年の全国酒類品評会で3回連続「優等賞」受賞の快挙をあげ、同13年「名誉賞」を授与、高級酒ブランド「名誉醉心」を創出しました。この時期、醉心のお酒は当蔵の蔵付き酵母「協会三号酵母」により育まれていました。お米は岡山米と伝え聞きます。

今般、「名誉醉心」創出100年を記念し、同酵母と岡山米による「超軟水仕込」に挑戦。マスカット様の香り、上品な酸味で爽快なお酒を得ました。100年前もこの風味であったなら、さぞハイカラな雰囲気を食卓に醸し出したことでしょう。搾った風味をそのままの無濾過生原酒で瓶詰めし、当時さぞ斬新に感じられたであろうそのラベルを復刻してのお届けです。よく冷やして、ワイングラスでのお楽しみをおすすめします。
100年前の醉心の蔵内で醸された搾りたての「名誉醉心」。その歴史を感じながらお楽しみ頂けると、幸甚の至りです。

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【醉心が授与された「名誉賞」について】

大正8年、醉心は第7回全国酒類品評会において「優等賞」を受賞しました。出品総数3,383点のなかで「優等賞」は僅か14点。会心の出来事でした。当時、この品評会は2年毎に実施されていましたが、続く大正10年の第8回品評会においても醉心は「優等賞」を受賞。出品総数4,222点のなかで「優等賞」は34点のみという中での、連続しての快事でした。第9回品評会は関東大震災の影響で大正13年に順延となりましたが、ここでも醉心は「優等賞」を受賞。出品総数4,341点のなかで「優等賞」を受賞したものは僅か42点というなかでの快挙でした。

第7・8・9回とも、数千に及ぶ出品のなかで「優等賞」を受賞したものは1%にも満たないものでした。そのなかで、醉心は3回連続しての「優等賞」受賞を成し遂げたのです。正に“奇跡”と言えましょう。

この類稀な功績を賞され、大正13年、醉心は「名誉賞」を授与されました。「優等賞」を3回連続で受賞したという功績による「名誉賞」授与は、醉心が初めてであったと聞いて居ります。「名誉賞」が授与されたのは大正13年11月16日のこと。以来、11月16日は当社において「醉心記念日」となり、毎年社内で式典が開催されて居ります。

 

【「名誉醉心」とは】

大正年間、三代当主・山根薫は“冷用”、即ち冷やして楽しめるお酒の開発に邁進していました。薫は、醸造法の改革、あるいは「瓶囲い」という新たな貯蔵法の創出など、多くの新機軸を打ち出し、遂には「名誉賞」を受賞するまでに醉心の酒質を高めるに至ったのです。

そして、大正13年、満を持して、「名誉賞」受賞を記念する新たな高級酒ブランドを発売しました。ころぞ、「名誉醉心」。当時、普通の日本酒が1,800mlで1円20銭ぐらいのところ、2,000mlで6円、1,000mlで3円50銭という破格の値付けをしての発売だったのです。しかも、「名誉醉心」のために、2,000ml・1,000mlのオリジナル瓶をわざわざ製作した上での商品化だったのです。

現在のJR山陽本線・三原駅の東隣に、糸崎という駅があります。蒸気機関車が走っていた当時は、これに石炭や水を供給する大規模な設備を有する大きなターミナル駅であり、多くの特急・急行列車が停車していたと聞いて居ります。薫は、「名誉醉心」の180ml瓶をたくさん携えて糸崎駅に行き、特急・急行列車が停車するたび、ご乗車のお客様にこれを配っていたそうです。

その後、「名誉醉心」を引っ提げて東京進出を果たし、神田に支店を開き、新橋界隈の料亭や料理屋に「名誉醉心」を卸すようになったのです。そして、そのことから、ひとつの大きな出会いが生れました。日本画の巨匠、横山大観先生との出会いです。その詳細は別のページに譲りますが、大観先生が愛飲されたお酒は「名誉醉心」であり、最盛期には1日に、実に二正三合もの「名誉醉心」を嗜まれたのです。言わば、「名誉醉心」を創出したことが、大観先生との出会いに繋がったのです。

 

【醉心由来の『協会三号酵母』】

大正3年(1914年)、『醉心』にとって画期的な出来事がありました。『醉心』から分離された酵母が優良な酵母として認められ、「協会三号酵母」として日本醸造協会から頒布されることとなったのです。

清酒醸造において、米が分解されて生成する糖分をアルコール発酵するには、酵母は欠くことが出来ない存在です。また、酵母には、清酒の風味を生み出すという役割もありますが、その風味は酵母の種類によって変わって来ます。
酵母の存在が確認されたのは明治時代以降のこと。それまでは、酒蔵に棲みついている酵母、所謂「蔵付き酵母」が自然に増えて来るのを待って、酒造りを行っていたようです。まだ衛生環境も悪く腐造が多かったでしょうし、酒質にもかなりのバラつきがあったと思われます。ところが、この頃、酒税は国家の重要な財源になっていたそうです。ですから、政府としては酒税の安定的な確保につなげるため、酒造りの技術を発展させて、その品質の向上と安定した生産を達することは重要な課題であったと思われます。

明治37年(1904年)、大蔵省に醸造試験所(現在の(独)酒類総合研究所)が設立され、速醸酛法が確立されました。そして速醸酛法を運用するために、純粋培養された酵母が必要となりました。そこで、様々な酒蔵から酵母が集められ、優良な酵母を分離する事業が始められたのです。そして、分離された酵母は「協会酵母」として、全国の酒蔵に頒布されるようになりました。明治39年(1906年)、灘の『櫻政宗』から最初の協会酵母である「協会一号酵母」が分離され、続いて明治末期に伏見の『月桂冠』から「協会二号酵母」が分離されました。そして、大正3年(1914年)、醉心から「3号酵母」が分離されたのです。

現在でも、「協会三号酵母」は日本醸造協会で保存されています。但し、もう一般には頒布されなくなっています。しかし、『醉心』は「協会三号酵母」のルーツです。『醉心』が何かの記念で酒造りを行う折には、特別にその酵母を頒布していただいています。

 

【お米について】
●麹米:「雄町」
醉心では現在、兵庫県産の「山田錦」を中心に使用しております。「山田錦」を使い始める以前は、岡山県産の「雄町」を多用していたと聞いています。現在、醉心で「雄町」を使用するお酒は非常に少なく、このお米を使うお酒は醉心におけるレアなお酒であると言っても過言ではないでしょう。

●掛米:「朝日米」
「朝日米」は、岡山県で登録されている品種登録米。岡山県だけで生産されているお米です。粒が厚く丸みのあるお米で、味わいとしては上品な甘みと旨味があると言います。冷めても味が落ちにくいこともあり、お寿司などに適していると言われるお米です。古い品種でもあり、明治時代に生まれた旭(京都旭)という品種の純系淘汰を行い作られたそうです。現在、旭(京都旭)系の品種はこの朝日米以外は存在しないそうです。

【醉心の「超軟水仕込み」について】
醉心のお酒は「軟水造り」。それは、今も昔も変わらぬ伝統です。現在の「超軟水仕込」についての説明は、「ぶなのしずく」の頁に譲ります。